Wikipedia で日本のバブル景気を検索すると、
「バブル景気(バブルけいき、英: bubble boom)は、好景気の通称で景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月[2]までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。」
と出てきます。
私は昭和62年に社会人になり、当初数年間九州に転勤していたためバブル当初のころはあまり記憶にありません。
ただ、平成に入り東京本社に戻った時は「バブル」最盛期だったこともあり、いろいろと記憶に残っていることがあります。
まだ、株式取引に手を出していない、品行方正な清廉サラリーマンでした。
体験した記憶や新聞で見聞きしたこと等をつらつらと書いてみたいと思います。
<記憶1>
私は担当者(平社員)だったのですが、よく飲みにつれてゆかれました。お金は会社のお金です。皆タクシーを利用するので、タクシーの手配は1次会から2次会に行く間にする必要があります。タクシーの予約を忘れた際、先輩から「タクシーチケットを指に挟んで道路でタクシーを止めろ。」と指示され実行した記憶があります。短距離の運行を嫌うタクシー運転手も、チケット保有がわかれば止まるとの話でした。夜中の2時頃首都高にタクシーで首都高に乗ると、いつも渋滞していました。大半がタクシーです。
<記憶2>
バブル崩壊後ではありましたが、当時「桃源社」という不動産会社のオーナーが国会で承認喚問を受けていました。印象にのこっているのは、そのオーナー佐佐木吉之助氏(故人)が慶応医学部出身の元医師であったことです。当時は「医学部出身で元医師が不動産会社をやるんだ」と驚いた記憶があります。同じくバブル崩壊後の話ですが、イ・アイ・イーインターナショナルという会社の社長高橋氏という方が、個人(実際は法人でした)でジャンボジェットを保有し、大蔵官僚を接待していたという話に驚いた記憶があります。
<記憶3>
株はやっていませんでしたが、関心は持っていました。企業がこぞって借入れを行い、「財テク」を行っていたことを覚えています。個人も信用取引ですごい金額を取引していました。時代はずれてしまうかもしれませんが、タテホ化学とか阪和興業とかの財テク巧者の企業名を覚えています。
<記憶4>
とにかく不動産の価格がすごかった印象があります。山手線の内側の不動産の総額で米国全土が購入できるといわれていました。何の役にもたたない崖が高値で取引されていることもありました。現在私が賃貸に出している築57年になる団地の1室が1億円で売りに出ていた記憶もあります。
<記憶5>
ソロモンブラザーズに勤務していた友人が、明神氏グループで日本国債の空売りと日本株の空売りをセットにして大儲けした話を聞きました。真偽は不明ですが、大儲けした後、大手町で花火を打ち上げたそうです。因みに、これがバブル崩壊のきっかけの1つであったそうです。
他にも記憶がない訳ではありませんが、やや不鮮明です。
当時は派遣社員などという制度はなく、全員が正社員でした。皆が大金持ちではありませんでしたが、給与の上昇等で働く人全員が恩恵を受けていたような気がします。なお、一般職という、今であれば許されないであろう女性専用職種がありました。
昔のバブルと比べる人がいますが、当時の熱気と比べるとまだはるかにレベルが低い感じがします。
もし今がバブルだとしても、初期段階に過ぎないのではないでしょうか。
歴史は繰り返さないが韻を踏む 好きな言葉です。
今後どうなるか楽しみです。